ある日、タマ〇ンが一つになった話②

う~ん、どうやら双子みたいだねぇ

 まるで壊れたテレビのような画面を見ながらそう呟いた先生の言葉を聞いたとき、少しだけ不安になったのを覚えてる。

 でもそれはほんの一瞬。

 二人の子どものお母さんになれる。一人でも充分幸せなのにそれが二人だなんて、2倍、ううん、何十倍も嬉しかった。

 出産の時は大変だったな~。佑介は割とすんなり出てきてくれたけど、佐介は全然出てきてくれなくて。

後にも先にあれ以上大変だったことはないと思う。

 どうにか二人とも無事生まれてきてくれたけど、佐介はほ~んとに小さくって、すぐに看護師さんに連れていかれちゃった。先生に泣きながらどうかお願いしますって頼んだんだから。

 その後もなかなか保育器から出られなくてね。生まれてから10日経って初めて、佐介を抱っこしたとき、また泣いちゃった。

 それでね、思ったの。

 柔らくてふにゃふにゃしてて、小さな小さなこの二つの命をいつか巣立っていくその日まで、命懸けで守るのが私の使命なんだ~って。

 それから色々あったなぁ。佑介は小さい頃からわんぱくでハラハラさせられたし、佐介も今と変わらず聞き分けがよくて助かってたけど、体調を崩しやすくてね。もうてんやわんや。我ながらよくやってたと思うわ。

 覚えてる?あんた、小さい頃はすごい引っ込み思案だったのよ。幼稚園の頃なんか、どこへ行くのも佑介の後についていって、いっつも一緒で。

 でも小学校2年生の時だったかな、テレビでやってたテニスの試合を観た佑介が、いつもの思い付きで習い始めたテニススクールに佐介も「ゆうすけがやるならおれも」って言ってね。

 佑介はすぐ飽きて辞めちゃったけど、佐介は「ひとりでも続ける」ってそのまま一人で通い続けてほんとに驚いた。

 それからかな。佑介の後ろにいるんじゃなくて、ちゃんと横に立てるようになったのは。

 色々なことに積極的に挑戦するようになったし、体も気づけば丈夫になって病院にかかることも少なくなっていって。テニスでもコツコツ努力を積み上げて、どんどん上達していって、インターハイで入賞するまでになって、とっても誇らしいです。

 それにね、インターハイが終わった後、たくさん大学から声をかけてもらって進路に悩んでたでしょ?

 でも最終的には自分で考え抜いて、私たちの目を真っ直ぐ見て「東京で、早稲田大学でテニスをする」ってはっきり言ったとき、あぁ、この子はこの先何があっても大丈夫だなって思ったの。

 18年なんてあっという間だったなぁ。

 両の手のひらで収まっちゃうぐらい小さかったのに、今じゃこんなに立派になって…

 あっ!ほら、もう搭乗の時間じゃない? チケットはちゃ

いわ!

天の声

何が
「ここで一度状況を分かりやすく整理してみよう」
だ!

完全に上京する息子を見送る母親の回想だろ!

トウフ

いや、でも「両の手のひらで収まっちゃうぐらい小さかったのに、今じゃこんなに立派になって…」のとことか今の状況を表してるし…

 わかりづらいわ!

 玉が腫れてる、お腹ちょっと痛い、その他異常なしでいいだろ!

 ページ移動したら、え?別のサイト開いた?ってなるぞ

やり直し

はい…

という訳で、次のページは1ページ目の続きからスタートです。

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この記事を書いた人

自称、武蔵の独丸竜。右に5度傾いてます。

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